2008年03月20日
追悼・上田現(3/23)
はいと言うわけで、皆さん今晩は!
これからの1時間は、このFM81.4・FM西大和からお届けいたします
「Swinging Street Second」で、お楽しみいただきたく思います。
お相手は私・DJ PONCHAN!とKANYAN!という此の2人で、余すところこの番組も名残惜しい事では御座いますが後2回ということで、今宵もワイワイガヤガヤと盛り上がっては、ラジオの前の皆さんと共に楽しいひと時を過ごしてゆきたいと思っておりますので、ダイヤルはそのままで暫しお付き合いいただきたく思います。
ということで、早速番組の方進めていきたく思うのですが~
で、いきなりですが、冒頭はまた残念なる訃報を…。
パンキッシュなスカバンドとして地味ながらも息長く活動、かのケムリやオレスカバンドにしても、この時代の先達ともいえるお馬鹿なライブパフォーマー集団「レピッシュ」の存在無くしては、決して今のような輝かしき立ち位置を獲得することは叶わなかった筈だと、私は手前勝手にそう評価・解釈している訳ではありますが…。
そんなレピッシュのキーボード奏者であり、かの元ちとせの名曲「ワダツミの木」の作者として、突然陽のあたる場所に飛び出しては、その素性を知るものからすれば、まさにあっと驚くタメゴロー。実にコペルニクス的展開で、男を上げたかの「上田現」氏が肺癌のために、なんと47才の若さでこの世を去ってしまった。関西は宝塚市出身の彼は、同じくレピッシュでギターを担当していた杉本恭市(デビュー当初は狂市と名乗っていた)氏と共に大の阪神ファンで、その昔(まだ今のような一般情報誌ではなく若者文化をリードするナンセンスなサブカル雑誌として圧倒的な人気を誇り流通していた頃の)宝島の誌面を通じて、二人して阪神の法被を着ては全然音楽に関係のない野球のヨタ話で盛り上がっては対談連載(現と狂市の時事放談)をしていたのを、今もって鮮やかな記憶として私は覚えています。
47才ということで殆んど私と同世代。かくいう私も正直色んな成人病を患ってはしんどい思いをしているクチだが、同世代の人が病気で命を落としたりする悲しいニュースを見聞きすると、人生も半ばを過ぎて、嗚呼、もう黄昏時が近付いているんだなぁ~なんて思ってしまう。だってわれわれはチ○ンラーメンに始まる、インスタント食品、ジャンクフード第一世代ですからね。戦前・戦中を生きてこられた世代とは確実にその食生活は違いますからね。短命ですよ、きっと。
ということで話がかなりその本筋から脱線してしまいましたが、今日は先に亡くなられた上田現氏を偲んで彼の名を一躍世間に知らしめた元ちとせの「ワダツミの木」と「ハイヌミカゼ」を聴いてもらいたいと思います。
合掌。
上田現氏告別式
上田現 「ワダツミの木」
上田現HP
http://www.uedagen.com/
レピッシュ
レピッシュ「パヤパヤ」(デビュー曲)
レピッシュ「コントロール」
MAGUMI(Vo,Tr) '63年9月24日生まれ、熊本県出身杉本恭一(Vo,G) '64年3月20日生まれ、熊本県出身tatsu(B) '67年2月7日生まれ、東京都出身
'84年、都内を中心に活動していたテクノバンドとパンクバンドがなぜか共鳴し、結成された。'85年に新宿ロフトでデビューライヴを行ない、主に都内のライヴハウスを中心に活動、'86年にFISHBONE来日公演のフロントアクトで注目され、'87年9月、ビクターより1stシングル「パヤパヤ」をリリースし、メジャーデビューを果たす。同年11月には1stアルバム『LA-PPISCH』をリリース、'89年以降はニューヨークでのライヴを皮切りにワールドワイドな活躍を見せる。'98年には、ビクター在籍10年間の集大成といえるベストアルバム『LA-PPISCH BEST 1987~1997 あとのまつり』をリリース、同年ユニバーサルビクターに移籍。'98年頃からメンバーのソロ活動も活発化し、'01年~'02年にかけて、オリジナルメンバーとして活動を共にした雪好、上田が脱退したが、サポートドラマーを加え、現在も以前と何ら遜色ないライヴ活動を展開している。デビュー15周年を迎えた'02年には目立った動きがなかったが、なぜか区切りの年の翌年に大きな動きがあるバンドで、'03年2月に3年ぶりとなるニューアルバム『Pop』をリリース、いよいよ目が離せなくなってきた。
文●バークス(03/03/24)より…
http://www.barks.jp/artist/?id=52006311&m=biography
これからの1時間は、このFM81.4・FM西大和からお届けいたします
「Swinging Street Second」で、お楽しみいただきたく思います。
お相手は私・DJ PONCHAN!とKANYAN!という此の2人で、余すところこの番組も名残惜しい事では御座いますが後2回ということで、今宵もワイワイガヤガヤと盛り上がっては、ラジオの前の皆さんと共に楽しいひと時を過ごしてゆきたいと思っておりますので、ダイヤルはそのままで暫しお付き合いいただきたく思います。
ということで、早速番組の方進めていきたく思うのですが~
で、いきなりですが、冒頭はまた残念なる訃報を…。
パンキッシュなスカバンドとして地味ながらも息長く活動、かのケムリやオレスカバンドにしても、この時代の先達ともいえるお馬鹿なライブパフォーマー集団「レピッシュ」の存在無くしては、決して今のような輝かしき立ち位置を獲得することは叶わなかった筈だと、私は手前勝手にそう評価・解釈している訳ではありますが…。
そんなレピッシュのキーボード奏者であり、かの元ちとせの名曲「ワダツミの木」の作者として、突然陽のあたる場所に飛び出しては、その素性を知るものからすれば、まさにあっと驚くタメゴロー。実にコペルニクス的展開で、男を上げたかの「上田現」氏が肺癌のために、なんと47才の若さでこの世を去ってしまった。関西は宝塚市出身の彼は、同じくレピッシュでギターを担当していた杉本恭市(デビュー当初は狂市と名乗っていた)氏と共に大の阪神ファンで、その昔(まだ今のような一般情報誌ではなく若者文化をリードするナンセンスなサブカル雑誌として圧倒的な人気を誇り流通していた頃の)宝島の誌面を通じて、二人して阪神の法被を着ては全然音楽に関係のない野球のヨタ話で盛り上がっては対談連載(現と狂市の時事放談)をしていたのを、今もって鮮やかな記憶として私は覚えています。
47才ということで殆んど私と同世代。かくいう私も正直色んな成人病を患ってはしんどい思いをしているクチだが、同世代の人が病気で命を落としたりする悲しいニュースを見聞きすると、人生も半ばを過ぎて、嗚呼、もう黄昏時が近付いているんだなぁ~なんて思ってしまう。だってわれわれはチ○ンラーメンに始まる、インスタント食品、ジャンクフード第一世代ですからね。戦前・戦中を生きてこられた世代とは確実にその食生活は違いますからね。短命ですよ、きっと。
ということで話がかなりその本筋から脱線してしまいましたが、今日は先に亡くなられた上田現氏を偲んで彼の名を一躍世間に知らしめた元ちとせの「ワダツミの木」と「ハイヌミカゼ」を聴いてもらいたいと思います。
合掌。
上田現氏告別式
上田現 「ワダツミの木」
上田現HP
http://www.uedagen.com/
レピッシュ
レピッシュ「パヤパヤ」(デビュー曲)
レピッシュ「コントロール」
MAGUMI(Vo,Tr) '63年9月24日生まれ、熊本県出身杉本恭一(Vo,G) '64年3月20日生まれ、熊本県出身tatsu(B) '67年2月7日生まれ、東京都出身
'84年、都内を中心に活動していたテクノバンドとパンクバンドがなぜか共鳴し、結成された。'85年に新宿ロフトでデビューライヴを行ない、主に都内のライヴハウスを中心に活動、'86年にFISHBONE来日公演のフロントアクトで注目され、'87年9月、ビクターより1stシングル「パヤパヤ」をリリースし、メジャーデビューを果たす。同年11月には1stアルバム『LA-PPISCH』をリリース、'89年以降はニューヨークでのライヴを皮切りにワールドワイドな活躍を見せる。'98年には、ビクター在籍10年間の集大成といえるベストアルバム『LA-PPISCH BEST 1987~1997 あとのまつり』をリリース、同年ユニバーサルビクターに移籍。'98年頃からメンバーのソロ活動も活発化し、'01年~'02年にかけて、オリジナルメンバーとして活動を共にした雪好、上田が脱退したが、サポートドラマーを加え、現在も以前と何ら遜色ないライヴ活動を展開している。デビュー15周年を迎えた'02年には目立った動きがなかったが、なぜか区切りの年の翌年に大きな動きがあるバンドで、'03年2月に3年ぶりとなるニューアルバム『Pop』をリリース、いよいよ目が離せなくなってきた。
文●バークス(03/03/24)より…
http://www.barks.jp/artist/?id=52006311&m=biography
Posted by PONーCHANG!(ぽんちゃん) at 08:03│Comments(0)
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